赤飯の起源

赤飯の起源

 

平安時代には、「姫飯」に対してモチ米を甑(こしき)で蒸したものを「強飯」(こわいい)といいました。

 

赤飯を「おこわ」ともいいますが、その語源はこの「強飯」であるともいわれています。

 

『名飯部類』に「一般に赤飯を強飯と呼んでいる」と記されていますが、京都ではモチ米を蒸しただけのものを「白むし」、赤飯は「おこわ」と呼んで区別しています。

 

民俗学の大家・柳田國男は、奈良時代以前に日本にもたらされていた赤米で作られたのが、赤く染めた赤飯の原型であると主張していました。

 

江戸時代あたりから、赤米は下等米と評価されたため次第に栽培されなくなりました。

 

18世紀初頭に刊行された百科事典ともいえる『和漢三才図会』には、赤飯のモチ米と小豆の割合は10対3が良いと記述され、モチ米が赤米に取って代わったことが分かります。

 

現在、赤飯はあらかじめモチ米を小豆や大角豆の煮汁に浸して赤く染め、その後、小豆や大角豆とともに混ぜて然したものです。

 

赤飯は地方色が強く、武士は蒸したときに小豆の皮が割れ、切腹を連想させるのを忌み嫌いました。

 

そこで関東では大角豆、関西では小豆、北海道・青森・長野では金時豆(隠元豆栽培品種で、種子は赤紫色の楕円形)や花豆(ベニバナ隠元ともいい、江戸時代末期に観賞用として渡来)を用いて米を赤く着色しています。


 

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