煮る・茹でる・蒸す・炊く。「煮る」

「煮る」の世界

 

和食の精神を突き詰めていくと、煮物に行きつく、と言われます。

 

和食で水を加えて煮る料理は、水の量や調理時間などがその要となりますが、煮物はわずかな水加減、火加減で出来上がりに天地ほとの差が生まれます。

 

それぞれの地域、地方や家庭によっても微妙に仕上がりが鴉なる味噌汁を頂点として、野菜の煮付け、煮っ転がし、魚の煮付けなど、まさに調理する人の精神が反映される究極の和食だというのです。

 

日本の料理人が煮物にこだわり、煮汁の量や調理時間、味を染みこませる時間まで考慮するようになったのは江戸時代になってからのことです。

 

一人前の板前への道は、

 

・一番下の下働き「追い回し」から始まり、
・漬け物を担当する「香の物場」
・つきだしを担当する「八寸場」
・楊げ物を担当するI「揚場」
・焼き物を担当する「焼き場」
・ようやく煮物、椀物を担当する「煮方」、「椀方」となって、
・ここから上がやっと「板前」と呼ばれるのです。

 

その上はというと、「立て板(二番板)」、そして料理長である「花板」しかいないのです。

 

料亭で煮方になるまてに最低でも10年以上かかるとも言われます。

 

それほど、煮物の世界は奥が深いということなのでしょう。

 

江戸時代の料理人は、煮る様式にもさまさまな工夫を凝らしていました。煮汁を少なくして煮る「炒り煮」などが考案され、杉の箱を鍋にして煮る「杉箱焼き」という調理法もよくおこなわれていたようです。

 

いかにも日本的な料理に「和え物」がありますが、和えるという料理方法は、「茹でる」料理法の延長線上にあります。

 

茄でた食料を酢や生姜で調味する和え物は、奈良時代にはもう現れていました。

 

火を通さない、マクロやイカなとの和え物もやがて作られるようになり、醤油や味噌なども和えられていたかもしれません。

 

生の食材と酢で作る「膾」は、やはり奈良時代には登場していて、鹿肉や、その臓器を膾にしたとみられます。

 

江戸時代には、白和え、ゴマ和え、梅肉和えなど現在でもよく食べられている和え物が生まれ、「お浸し」などもここから派生したといわれます。

 

「茹でてから煮る」「茹でて和える」と煮物は、マルチに発展したのです。

 

和食の究極、その世界は奥が深いのです。

「焼き」から「煎る」へ

 

「揚げ」の調理法が登場

 

火を使って「焼く」という調理は、画期的でしたが、非常に単純な調理法でもあります。

 

古代の日本人は、「焼き」よりもっと高度な調理法を追求したのです。

 

弥生時代には、「煎る」という調理法が出現していました。

 

木の実やゴマなどを、鍋などに入れて、揺さぶりながら素早く熱を通す方法です。

 

古代の煎る料理の代表は、「焼米」でした。籾を取らずに米を煎ったものです。

 

保存食、携帯食だったとみられるが、食へるときには籾を取り除いてそのまま食べたり、臼で搗いたしていたようです。

 

奈良時代には、植物油が登場し、米粉や麦粉などを水で練ってはひねり、ドーナツ状などさまざまな形にして油で揚げる「唐菓子」も作られるようになります。

 

平安時代には、こういった調理法がほぼ完成されています。

 

加えて、強火て焦がして香ばしさを出す「焦がし焼き」のテクニックも現れました。

 

魚を炙り焦がした料理が供されていたことがわかっています。

 

火で加熱する料理法で、最後に現れたのは、「揚げ」の調理法です。

 

植物油で加熱する調理法は、奈良時代からおこなわれていましたが、料理としての「揚げ物」が登場したのは鎌倉時代からではないでしょうか。

 

和食の代名詞の一つに「天ぷら」がしばしばあげられますが、天ぷらということばは、もともと日本のものではありません。

 

この語源には諸説ありますが、一説によると、ポルトガル語の「テンペロ」からきているとされます。

 

このことばには、「調味する」という意味があるといいます。

 

天ぷらという名前で普及したのは江戸時代のことで、魚介類や野菜の天ぷらがはやったのです。

 

油を用いた揚げ物料理は、鎌倉時代の精進料理に遡るとみられています。

 

仏教の僧侶が食べるものなので、肉や魚などをいっさい使わない、不殺生の食べ物としてでした。

 

精進掲げといって、豆腐や麩、野菜などを素楊げしたものが食られていました。

 

江戸初期の『料理物語』に昆布の油揚げとあり、精進料理の一種です。

 

江戸時代には、ゴマ油でカラリと楊げるのが江戸風で、綿実油で白っぽく楊げるのが上方風とされたのです。

煮る・茹でる・蒸す・炊く

 

「揚げる」調理法の登場

 

焼くこととともに「煮る」という調理法が生まれました。

 

煮るためには器が必要で、縄文時代にそれが本格的に始まったと考えられます。

 

ただし、縄文土器ができあかる前から「煮る」という調理法がいくつかあったとも考えられています。

 

例えば、獣の皮で作った袋や竹の筒の中に食材と水を入れて、焼け石を投入するという方法です。

 

地面に掘った穴に食材を入れて、焼け石を入れるという「然し煮する」方法もあったと考えられています。

 

秋田県の男鹿半島には、そのような手法の郷土料理が残っています。

 

杉の桶に新鮮な魚介類と味噌、水を入れて、そこに熱した石を放り込むのです。

 

桶の水はすぐに沸騰して、鍋料理ができあがります。

 

そう言った料理法から発展して、縄文時代に土器による「煮る料理」が出来上がり、「如でる」という調理も始まりました。

 

本格的な調理用土器としては、世界最初の土器です。

 

食材は、昆布、ワカメなどの海藻類やシジミ、ハマグリなどの貝類、ソバ粉などで作っただんごなどを煮て、食べていました。

 

土器の底に孔を開けて蒸すという調理法も生まれました。

 

この有孔土器は、甑(こしき)と呼ばれる「蒸し器」です。

 

当時は、米や里芋、クリの実などを蒸す目的で使われていたようです。

 

要は、現在のI蒸龍」のようなもので、水を入れた容器の上に重ねて、立ち上る蒸気で食材を蒸らすのです。

 

やがて米は「蒸す」から「炊く」へと発展します。

 

日本人が、米を「炊いて蒸らす」という現在に近い調理法で食べるようになったのは弥生時代からです。

 

ちなみに、近畿地方より西のエリアでは、米を炊くという以外に、「だいこんを炊く」といういい方をすることがあります。

 

これは、東日本であれば、「だいこんを煮る」というところなのですが、ことばにこのような違いがあります。

 

どうやら、「炊く」ということばは、米を「炊いて」常食とするようになって普及したようです。


 

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