江戸の秋

江戸のきのこ狩り

 

里山はきのこの宝庫でした

 

山と里との境界線には、日当たりのよいなだらかな斜面が広がり、ならやくぬぎ、あるいは栗の木などの雑木林がありました。

 

太くて長々とした山芋がとれるのも、里山だったのです。

 

山の木々が色づく頃になると、きのこをはじめ、栗やどんぐり、くるみ、山芋、あけび、山ぶどうなどがたくさんとれます。

 

里山から、さらに奥に入っていくと、薄暗くて、天狗や悪いキツネなどが棲んでいそうな、ちょっと恐ろしい本格的な山になります。

 

また、江戸時代、きのこは「茸」(たけ)と呼ばれていました。

 

したがって、きのこ狩りは「茸狩り」というわけです。

 

「たけ」は、今でも「まつたけ」とか「しいたけ」「まいたけ」のように、名前に残っているのです。

 

比較的温暖で湿度の高い日本列島は、きのこの天国で、その種類も正確にはどのくらいあるのか見当もつかないほど多く、食用になるものだけでも百種類はくだらないと言われています。

江戸の女性に人気があったきのこ狩り

 

江戸のきのこ狩り

 

江戸時代、秋のきのこ狩りは、女性にとっては、実益を並ねた楽しいレクリエーションシであり、弁当と手提げかごをぶら下げて、近くの里山や雑木林に出かけて行きました。

 

 

江戸の川柳に次のような作品があります。

 

 茸がりは 紅葉がりより 世帯じみ

 

採取容器として、背負いのかごでも持っていったのでしょうか。

 

とくに人気があったのが、前日に降雨があり、当日が秋隋れになったようなときです。

 

木々の恨元や斜面、落葉のかげなどに、さまざまなきのこが、ぎっしりと群生していたからです。

 

今から370年ほど前、三代将軍家光(1604〜51)の時代に刊行された『料理物語』には、十二種類のきのこと、その食べ力が紹介されています。

 

主なきのことその食べ方は次のとおりです。

 

 ・まつたけ……汁、和え物、煮物、焼いて。
 ・しいだけ… 汁、煮物、焼いて、なます、刺し身、干して。
 ・はつたけ……汁、焼いて
 ・しめじ ……汁、煮物
 ・きくらげ……煮あえ、なます、刺身、茶の菓子などいろいろ
 ・いわたけ……煮物、茶の菓子、刺身

 

文献上で最初に登場するきのこはまつたけで『万葉集』の中に「芳を詠める」という歌題をもった次の作品があります。

 

  高松の この峰も狭に笠立てて
   みち盛りたる秋の香のよさ

 

「高松のこの山もせまくなるほど笠てて、満ちあふれているまつたけの香りの何とよいことよ」という意味で、「秋の香」はまつたけともられている。

 

松茸は江戸時代も高価で、自分で採取したものならばともかく、そう簡単には口にできなかったのです。

 

当時、人気があったのが干し椎茸で、ダシ代わりに用いられていて、『本朝食鑑』にも

 

「かつおだしに代えられるので、僧家では干し椎茸を賞する」

 

とあります。

中秋の名月に「団子」と「芋」

 

陰暦で八月一五日、新暦では九月中旬ごろどなる中秋の名月をめでる風習は、中国伝来なのです。

 

陰暦では、七月が初秋、八月が中秋、九月が晩秋となります。

 

日本では、平安時代ごろ上流社会に風流な行事として伝わり、民間にも広まりました。

 

当時は貴重な作物であった里芋などが収穫される時期に当たったので、満月に里芋をお供えするようになり、「芋名月」ともいわれました。

 

稲作が発達するとともに、お月見の時期が稲の収穫期なのて、豊作のお祝いとも結びつき、満月は実りのシンボルとされ、さまさまなお供え物をするようになったのです。

 

ススキの穂が、稲穂の代わりに供えられ、月の神様がススキに乗り移って、子孫繁栄、五穀豊穣を見守ってくれると考えました。

 

萩やなでしこ、おみなえしなども供えました。

 

月見団子を供えるのは、月と同じように丸い団子をお供えし、それをいただくことで月の力により、無病息災のご利益か得られると考えられたからのようです。

 

三方(さんぽう、お供えの台)にのせる団子の数は、一五夜にちなんで一五個とも一年の月の数である一二個ともされるのです。

 

また、閏年には一三個にするともいいます。

 

江戸時代の中ごろの『本朝食鑑』には以下のような記述があります。

 

「近世では、八月一五夜の月を賞するとき、必ずいもの子、青いさやつきの豆を煮て食べる。九月二二夜、月を賞するに、薄皮をつけたいもの子を衣被といって、生栗と煮て食べる」

 

衣被は、小粒の皮付きの里芋を蒸すか、または茄てたもので、できあがりの皮を「つるん」とむいて、塩を付けて食べます。

 

もともと、衣被とは、平安時代の女性が外出する際に、頭から被って顔を隠した単の小袖のことで、これを「きぬかづき」と呼んだことからきています。里芋の皮付きのものを意味するようになり、「きぬかつぎ」と後に変化しました。

 

九月一三夜は、「後の月」といい、衣被を供え、食べながら月をめでました。

 

「もし一五夜のみにて一三夜を欠く時は、片見月とてこれを忌みきらうこと、江戸の風俗なり」と『絵本江戸風俗往来』に記されています。

 

八月一五夜をめでただけでは「お月見』は完全なものとはならなかったのです。

 

一三には、豆や栗も供えたのです。

 

お月見に、単なる「風流」以上の、信仰としての価値をおいていたことが偲ばれのです。

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