江戸の冬

正月さまの迎え方

 

豆腐を食べて体を清める

 

十二月を「師走」ともいうのは、忙しさのあまり、「師」、つまり先生も走り回っているからだという説があります。

 

昔の師は、ひたすら学問や研究だけに没頭し、米や大根の値段がどのくらいするのか、といった生活のもろもろには丸きり無関心という、世間離れした大人物が多かったといわれています。

 

その先生さえ走るのだから、やっぱり十二月は忙しいのです。この「師」は、導師、つまりお坊さんという説もあります。

 

いずれにしても、何でそんなに忙しいのかというと、他の月とはちがって、お正月のの歳神さまを迎える準備をしなければならないからです。

 

歳神さまは、稲作の神であるのですが、福の神さまでもあり、きちんと失礼のないようにご降臨いただかないと、新年の展望も開けないのです。

 

このため、準備の万全を期してついつい忙しくなり、走り回る、お正月を迎えるための営みは、十三日の煤払いから三十一日の大晦日まで、ずらりと続くのです。

 

十三日は、正月の事始めともいい、歳神さまを迎える神棚をはじめ、家中を掃除して清めるのです。

 

煤払いかすんでから食べるのが、豆腐のみそ汁や豆炭田楽で、これは、白いもので体の中を清めるという意味があります。

 

 

にぎやかだった年の市

 

十二月の中旬、各地で開かれる羽子板市から、羽子板を買ってきます。

 

羽根には現在のむくろじとは違い、古くは豆がつけてありました。

 

豆を打つことによって、厄払いをするためで、豆は「魔滅」に通じているといわれます。

 

二十日から二十八日にかけては「年設け」で、新年を迎えるために必要なものを準備します。

 

江戸では、その間に八幡宮や天神さまなとの境内に年の市がたち、松やしめ縄、若水桶、三宝などが売り出されました。

 

歳神さまは、元旦の早朝にやってくるという考え方が一般的ですが、古い習慣を残す地方などでは、暮れに山に入って松を迎えるときに、その松と一緒においでなさるというところもあるのです。

 

 

門松は歳神さまの依代で二十日から二十八日の間に玄関口の両側に立てるのです。

 

大晦日に飾るのは一夜飾りといって嫌ったのです。

おせち料理の中心はかまぽこ

 

十二月の二十日も過ぎると、江戸の町では各所から餅をつく景気のいい音が、いっせいに起きます。

 

ただし二十九日は「苦餅」といって、絶対につかないのです。

 

門松の場合も同じで「苦松」になるところから、この日を避けるのです。

 

日本橋のの商店などでは、出入りの鳶の頭が若い者連れ、威勢良くよく餅つきをして回るのですが、長屋の熊さんや八っつぁんのところへは、家主が小振りの鏡餅を持って配り歩くのです。

 

長屋の共同便所の汲み取り代金が、おすそ分けとして鏡餅に化けたのです。

 

江戸時代には、大根や牛蒡などを育てる貴重な有機肥料であり、近郊の農家に払い下げして換金していました。

 

下肥の分配は、あくまでも鏡餅にtどどまり、正月中に食べる分は、長屋総出でワイワイ賑やかにさわぎながら共同でついたのです。

 

餅はたくさんつくから、狭い長屋住まいだと寝場所もないといった状態になります。

 

そして、煤払いがすみ、餅つきも完了すると、いいよいよお正月さまになります。

 

 黒く白く 二度よごれて 春となり

 

十二月も暮れぎりぎりになって、「おせち料理」作りにとりかかる。おかみさんのねじり鉢巻きになるのです。

 

おせちは「御節供」の略語で、年に何回かある節日の祝い料理を指していましたが、やがて一年を通し、もっとも重要なお正月の判理に限定されるようになりました。

 

古くは、織田信長が正月五日に新年の節振舞をしたという記録が『室町殿物語』に出ています。

 

おせちは歳神さまにお供えし、一緒にいただく料理であり、つつしんで籠もりして食べるのが原則です。

 

そこで、物音をたてないように、あらかじめ暮れのうちに詰めておきますが、この習慣はいまでも守られています。

 

おせちに欠かせないのが歴史の古い里芋で、それに根菜、黒豆、昆布、鯛やぶり、えび、数の子、卵焼きなどです。

 

江戸時代中期以降は彩りも豊かなかまぼこが重要な地位を占めるようになりました。

 

おせちは正月三日間食べるものであり、栄養のバランスも考え、海、山、里と盛りだくさんの材料が使われたのです。

 

七草がゆ

 

七草がゆの習慣が、日本で庶民の間に根付いたのは江戸時代といわれます。

 

しかし、そのルーツをたどると平安時代にまでさかのぼります。

 

平安時代は、日本のしきたり、年中行事がほぼ固まった時代です。

 

当時の儀式や行事などを定めた『延喜式』という法令集があり、その中で引き継がれてきたのか中国から伝来した「七種がゆ」です。

 

七種がゆの「七草」は、米、あわ、きび、ひえ、ごま、小豆、み(水田に生える野草)で、このかゆが後に、七草がゆと小豆がゆに発展しました。

 

かつては七種の草は、とくに厳密に決められておらず、山野で採れる野草を採っていたようなのです。

 

一月七日(人日=七草の節供)の朝には、七草がゆを食べますが、この七草の種類は、東西に違いがないのです。

 

「守貞漫稿」には、

 

「正月七日、この朝、三都(江戸、京都、大坂)ともに七草がゆを食べます。せり、なずな、ごぎょう、はこべら、ほとけのざ、すずな、すずしろでこれを七草といいます。しかしながら、民間ではこのうち一、二種を用いるのみです。三都ともに六日に農民などが市中に出て、これらを売る」

 

とあります。

 

春先に七草がゆを食べるという習慣は、冬の間の野菜不足を補うという意味があったのです。

 

免疫力を強化し、風邪などから身を守る知恵だったのです。

 

せりは、寒さに強く、カロテンやビタミンCが豊富で、鉄分、カルシウムもたっぷりと含まれ薬草として優秀なのです。

 

なずなは、いわゆるペンペン草だが、タンパク質が豊富で、ビタミン類も多いです。

 

ごぎょうは、餅ぐさとも呼ばれ、草餅に用いられます。たん切りや風邪によいといわれています。

 

はこべらは、いわゆる「はこべ」のことで、強い生命力を持っています。

 

ほとけのざは、たびらこどもいわれ、仏さまの座る台座に似ていることからこの名があります。

 

味噌汁の具や和え物に用います。

 

すずなは、かぶのことで、根の部分を食べます。その形が鈴に似ているためにこう呼ばれました。

 

葉は、カロテン、ビタミンCが豊富です。

 

すずしろは、だいこんの別名で、「かがみ草」とも呼ばれます。焼餅に添えることからこう呼ばれます。

 

だいこんには、消化を助ける成分かあり、餅を食べる時に食べるとよいことから、添えられるのです。

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