日本人はこれを食べてきた

和食の事を知ろう

 

料理の世界では、和食の調味料である昆布やカツオ節から生まれるUMAMI(うま味)が、新しい味として国際的に認められ、使われています。

 

日本生まれなのでこう呼ばれるようになりましたし、醤油や味噌などに興味を示す欧米のシェフも増えています。

 

また、その和食の繊細な技を学びに来日する外国の料理人や器用に箸を使いこなす外国人も増えてきています。

 

和食に関心がある外国のレストランなどでは、わざわざ日本に出向いて魚や野菜、米、調味料などを調達するケースも増加していて、日本人が考える以上に和食が人気になっています。

 

そんな中、和食が世界無形文化遺産に認定されました。

 

これからますます、日本の和食文化が、海外から注目されるようになります。

 

しかし、その割には、われわれは日本人はその和食を食べていながら、その起源をはじめ、さまざまな和食の料理、はたまた懐石料理と会席料理の違いや食材が限定されている精進料理、そして和食のマナーのことなどなど、知らないことが多すぎるようです。

 

また、戦後の急速な欧米化によって、日本人自身が「和食」を忘れてしまったかのようにも見えます。

 

いま、ハレとケの世界から、また、歴史も振り返りながら「和食」を見つめてみます。

「一汁一菜」 → 「一汁三菜」

 

和食の卓越した知恵は「膳」の上にもある。

 

膳というのはふち高で正方形の木製であり、寸法は尺2寸が定番。メートル法で言うとほぼ36センチの塗り物です。

 

一人用の食卓で、この上に「一汁三菜」を彩りよく配置します。

 

膳の上に六個の食器を置くと「一汁三菜」となり、これが和食の幕本です。

 

「一汁」は一種類の汁物という意味で、普通は味噌汁を言う。
「三菜」は三種類のおかずで、主菜がひとつと副葉がふたつ。以上で食器が四個になる。

 

ここに、主食のご飯漬け物の食器が二個加わり、合計六個となる。

 

この六個の食器に盛られる料理にはそれぞれ意味があります。

 

食事をする時、主食のご飯を食べるのは当たり前だから献立の中には記入しません。

 

同様にご飯に漬物を添えるのも決まりであり、これも献立には記さない。

 

「膳」は「全」である。 

 

尺二寸の膳の上に、単においしいだけではなく、健康を維持する上で必要な成分、それに季節の色あいを「すべて」盛るように気配りをします。

 

山のもの、海のもの、川のもの、野のもの、里のもの、つまり米、大豆、魚介類、鶏卵、時々肉類、野菜、山菜、キノコ、海藻などで、その季節にその土地で入手可能な食材をそろえます。

 

色彩も自、緑、黄、赤、黒と五彩を心がけます。

 

このようにして料理を作ると、自然に栄養のバランスがとれ、食べる人の健康が守られます。

 

これが「一汁三葉」の基本です。

 

「三菜」のうちの主菜(メーンディッシユ)は動物性たんぱく質が中心で、魚介類が主体でありますが、肉料理の場合もあるし、卵材理になる時もあります。

 

副菜はふたつあり、ひとつ目が野菜系で、ふたつめは大豆系。

 

野菜系はイモ類、大根、人参、ゴボウ、昆布といった根求類の煮物かホウレンソウや小松菜のおひたしなど。

 

大豆系では、豆腐や納豆、煮豆などです。

 

日本人が魚であれ、野菜であれ素材をを選ぶ場合、何よりも季節の物、そしてを尊重し新鮮さを重く見るのは、材料に蓄えられた自然の力を損なうことなく食べるのが一番うまいし、健康にもよいことをよく知っているからです。

庶民レベルで定番になる

 

このような献立が庶民レベルで定番になったのは、
それまでの玄米食から白米食になった江戸時代の元禄(1688〜1704)の頃からでしょう。

 

世の中が平和で豊かになり、食のバランスを考えるようになったのです。

 

『養生訓』で有名な貝原益軒(1630〜1714)も自著の中で

「五味偏勝とはひとつの味を食べ過ぎることをいう」とし、
「五味をそなえている物を少しずつ食べれば病気にならない」

と記し、バランスよく食べて身養いせよ、という意味で偏食をいましめています。

 

「一汁三菜」のお膳の前に座ったら、次は箸の進め方になりますが、これが絶妙で実に楽しい。

 

まず、味噌汁を口に含み、口の中をうるおす。
次にご飯をとり味わう。続いて主菜に行き、次はご飯。
そして、味噌汁となりご飯。
次に二のおかず(副葉)、ご飯、三のおかず(副々菜)となり、ご飯、味噌汁、ご飯、主菜、ご飯とめぐり食いを進めていく。

 

あくまでも中心は米の味で、汁、ご飯、菜と交互に進めます。

 

その合間に漬物をとります。漬物にも意味があって、発酵熟成中に繁殖した乳酸菌や酵母、酵素などか含まれているのです。

 

米食民族にとって、炭水化物の消化をスムーズにするためにも、漬物中の消化酵素は必要だったのです。

 

このように述べると、多少わずらわしく感じられるかも知れないが、ほとんどの日本人は和食の場合、自然とこのような「めぐり食い」になっているのではないでしょうか。

「一汁三菜」が一般家庭に根付いたのは1950年代以降

 

食文化研究によれば、「和食」という言葉の歴史は百有余年なのだ、といいます。

 

今年で明治元年から150年ですが、その前の江戸時代には影も形も見あたらないというのです。

 

それもそのはず、文明開化を迎えるまでは、自分たちが食べている料理が和風か否か意識することもなかったので、わざわざ「和食」と名づける必要すらなかったのです。

 

ところが、明治時代に西洋文化が普及するにしたがって、例えば洋服に対して「和服」が、洋室に対して「和室」などという言葉が創生されたように、「和食」も近代化の中で新しい言葉として現れたのです。

 

つまり、西洋の料理文化を「西洋料理」や「洋食」と表現するようになると、まず「日本料理」や「本邦料理」という言葉が誕生し、その後に「和食」が出てきたのです。

 

和食という言葉は、洋食と対で使われることが多く、洋食の普及にともなって浸透していくのですが、
なかなか一般的には使用されなかったようです。

 

昭和の時代に入って、百貨店の食堂が和と洋の食事をともに提供する典型的な場になると、ようやく「和食」という言葉が広く知られるようになったのです。

 

では、和食の内容はどうでしょうか?

 

和食は「一汁三菜」を基本形としているからこそ、栄養バランスがよく多様な食材を用いた上質な食事内容が、一般的な家庭の日常で繰り返されているのです。

 

しかし、この基本形が一般家庭に普及したのはたかだか50有余年前のことなのです。

 

米の飯が全国民の主食として位置づけられたのは、1939年に米の国家管理を行うことが決定し、1941年から米の切符配給制が実施されたことに起因します。

 

これによって、元来は米を主食としていなかった地域も含めて、日本全国民が米を主食と認識するようになりました。。

 

多くの国民にとって、戦中戦後の数年間は日に三度の食事すらままならなかったのですから、米の飯を食ぺられた可能性の有無は想像に難ぐないのです。

 

実際に全国民が日常的に米の飯を食べる権利を享受できるようになったのは1950年代半ばになってからです。

 

他の食料の種類が増えて選択幅が広がってきたのも1950年代半ばを過ぎてからです。

 

そして当時の著しい経済成長を背景に生活水準か向上し、冷蔵庫などの家電製品の普及によって、料理のバリエーションも急速に広がったのでした。

 

結果として食事内容は、日本型食生活といわれる旧来の米と野菜や魚に加えて肉類や乳製品、果物などをバランスよく取り込んだものとなりました。

 

ここに、白いご飯とおかずの豊富な一汁三菜の和食の基本形が実現したのです。

 

そして質量ともに豊かさを増してきて五十余年の歳月を経て21世紀には「Washoku/和食」というブランドとして新たな歴史を刻みはじめているのです。


 

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